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    古代技術/伝統技術


紀元前9000〜前7000年頃、トルコ山岳地帯からペルシャ湾に流れ込むチグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア(meso:挟まれた、potamia:河川)の肥沃な地に住む人々は、移動と採取に替わって定住と農耕を開始し、富と技術と文字を生み出したと考えられている。




ここでは古くから使われている幾つかの重要な技術を考えてみます。
中には、失われてしまったり、不要となってしまった技術もありますが、考えを巡らすことも無駄ではありません。



直線を作る

我々は普通、30cmや1mの定規を使って直線を書くが、それ以上になると難しい。
まして、それが空間的にも真っ直ぐな直線かどうかは、たわみ易い定規では確かめようもない。

直線は糸を強く張ることで容易に得られる(2点間の最短距離は直線となる)
この技術は古来から今でも変わらず使われている伝統技術のひとつかもしれない。
水糸は強い引っ張りに耐える軽い糸としてこの用途に適している。

水糸

塀のブロックやレンガを直線に沿って並べるなどの作業は、水糸なしで施工するのは極めて困難。



なお、水糸は直線を作るだけでなく、一端を地中に立てた杭に掛けて、円を描いたりなど使い道が広い。




完璧な平面

3組の面を合わせて、相互に密着するならば、これらの面は全て平面である−という原理が使われる。

砥石の面は使うに従い摩滅し、刃物を研ぎにくくなるが、3組の砥石を交互に擦り合わせることで、また正確な平面が得られる。



また、精密な寸法測定に欠かせない定磐は、正確な平面であることが求められるが、この平面の仕上げや補正も3組の定磐を互いに砥粒で擦りあわせることでおこなうことができる。





垂線を得る

紐で錘を下げ、静止させると垂線が得られる。
写真下の左上隅は昔から使われている「下げ振り錘」。棟上前、これを上から下げて、柱の倒れ具合を補正しつつ、垂直位置で筋交いを打って固定する。

現代では、「レーザー墨出し器」(写真下)が使われることが多くなったが、これも原理は同じで、内部に組み込まれた錘を使って、レーザーポインタの振れ方向を決めている。
下げ振り錘が故障したり動作不具合になることは絶対無いが、レーザー墨出し器はそうはいかない。十分注意して取り扱う必要がある。






水平を出す

大きな建造物を作るに際しては土台を水平にしなければならない。
水準器(写下真)はエアコンの設置床面の水平を確認するくらいなら十分であるが、それ以上は厳しい。



もっと広い範囲の水平を確かめるには、「等しい大気圧下で、水流が無い場合、水路における水面の高さは何処も等しい」という原理が使われる。
ホース内部の水の質量を積分して、これを証明するのは厄介だが、直観的に考えるには次のようにする。

@ まず、流れのない静かな池の水面を考える。
A この池の水面が水平であることに異を唱える人がいるとしたら、これ以降の議論は不要だが、
B 両端が開放された中空のホースを静かに水中に潜らせ、後端が空中に出た状態のまま、先端を空中に出す。
C この状態で、ホースの内部の水面の高さは、両端とも、池の水面の高さに等しくなっているであろう。
D このままで、池の水を取り払ってみる。

ということで、ホースの寸法形状に限らず、ホース両端の水面は水平となる。



「水盛り」はバケツとホースを使った道具。透明なホースを使えば先端のガラス管はいらない。
敷地の中央にバケツを置き、隅の何箇所かに杭を打ち、水盛りを引き回して杭に墨を打ち、水糸を張ることで水平面が簡単に得られる。



ホースが無かった昔はどうしたのだろう?
下は江戸時代には既に用いられていた木竹製の「水盛り」。中央の吸水口から水を盛って、両端の竹の切り口から水がちょうど溢れ出そうになるように、装置の角度を調整する。水盛りという用語が納得できる仕掛けである。
この装置の凄い点は、装置間の水平だけでなく、遥か遠方の地点の水平基準が測量できる点にある。多摩川上水を始め、あの時代によく水の流れる水路を決定できたと感心するが、こうした測量機器が使われていた。また、流水面より上下に異なった位置へ水を導くサイホンの原理も用水路には無論使われていた。





真球を作る

正確な円はコンパスで描けるし、芯振れの無い回転さえあれば正確な円の切削加工もできる。
しかし、正確な球を切削加工するのは極めて困難である。

鋼球は刃物で切削するのではなく、鍛造や鋳型、焼結などでなるべく球に近い形に成形された後は、高速で運動する砥石や砥粒を使って、球を拘束しないまま、表面全体をランダムに研磨加工する。どんな形状であろうと、まんべんなく角(凸部)が取られていくと次第に球に近づくというのがその原理。ボールベアリングのボールもボールペンのボールも基本的には同じ方法で製造されている。多くはボール製造専門の会社で製造されている。



ちなみに、有名な古代コスタリカの石球は最大直径2.6mにも及ぶ花崗岩製の球。作るには高度な幾何学が無ければ無理。これはきっと宇宙人の、、と、よりミステリアスな方向へ話しを持っていきたいところだが、紐コンパスで型板から半円を切り抜き、この型板を当てがいながら当時の高い石加工技術があれば可能ではなかったか。あるいは、荒っぽく球にした原石と玉砂利を大きな水車に入れて根気よく回転させることができたら、わざわざ遠い宇宙から技術者に来てもらう必要はなかった筈である。



直角を作る

古代ギリシャの数学者の名が付けられている有名なピタゴラスの定理は、ピタゴラス本人が発見したかどうかは不明だが、古来から、長さ 3:4:5 の三角形は直角三角形となることが知られていた。

 a2+b2=c2

となる整数はピタゴラス数と呼ばれ、次のような組み合わせがある。

  3   4  5
  5  12  13
  15  8  17
  7  24 25
  21 20 29
  、、、、、

基本の長さを元に、そのピタゴラス数倍の長さを紐や木材で作り、直角を作ることができる。
ちなみに、こうして得た直交する2直線の何れにも直角な3番目の直線が得られる。
この3軸を座標として空間のあらゆる位置(x,y,z)と距離 s=√(x2+y2+z2) を定めるのがデカルト座標



◆不規則な曲面直線を描く

例えば、切り出した自然木の一面を平面に削りたい場合、大型の製材機が無かった古代ではまず曲面に墨で切断面に沿った直線を書いて、これを目印に削っていた。



写真上の墨つぼ現在でも使われる大工道具だが、古代エジプトで既に使われていた。



断面に切断線を書き、反対面にも水盛りを使って平行線を引く。
墨糸の釘を向こう端に固定し、墨壷を手前まで引っ張り、位置に当てがい、墨糸の中程を切断線と平行に張りつめて放つ。これで、木材の表面に切断線に沿った墨を入れることができる。

もっとも、この技法は張力や糸を引く方向を定めるのに錬度が要求されるため、誰もが簡単にできるというものではない。しかしこれ以外の方法をもって替えることは更に困難。
なお、熟練者は糸に撚りをかけることにより、糸が戻る際の反動を利用して、平面の上に曲線を墨入れできるという。



木を切る、削る
青銅器や鉄器ができる以前、大木を切断するには石斧が使われていた。発掘された石斧での実験も報告されている。鉄器ほどの切れ味はないが、意外なほどの切断力があるという。



木を削る道具の代表格はちょうな。これも石器時代から原型があっただろう。
下手をすると自分の足の指を落としかねないスリリングな道具であった。
今でも古民家、古い寺社仏閣の柱や梁の木肌にはちょうなの味わい深い痕を見ることができる。



槍鉋(やりかんな) 槍のように突くのではなく、両手を左右に広げて刃を木肌に当て、繊維に沿って曳く。




少なくとも、300〜400万年前、道具を扱う動物として、人類の祖先がアフリカに誕生し、数十万年前には、この旧人が世界に広がり、12万年前には日本列島にも生活の跡を残している。20〜10万年前には現在の人類がやはりアフリカに現れ、より高度な道具を作り扱うようになった。6万年ほど前にはこの新人類が世界各地に拡散し、3万年ほど前には日本列島各地に高度な磨製石器を遺跡に残している。
人間が金属を使いだしたのは、融点も低く、加工し易かった鉛が紀元前6400年頃、青銅が紀元前3500年、鉄は紀元前1500年頃であったようだ。



図形を拡大する

ナスカの地上絵の作画法は既に謎ではなく、実際にこの方法で巨大な地上絵が再現されている。
ある程度の大きさの原画と、拡大中心とする杭、そして長いロープが使われる。
下は10倍の拡大図作成法。予めロープに目盛をふっておくと効率的に図を拡大できる。






巨石割る

近代の石切りは、割り位置に沿って、複数の角穴(丸穴)をタガネとハンマー(エアハンマー)で穿ち、クサビを打ち込むことで割るが。古代ではこうした単なる力技ではなく、岩盤に対する基礎的な知恵が用いられたと考えられている。水成岩にせよ火成岩にせよ、岩盤には生成および変性由来の目(層)がある。こうした目に沿った窪みや割れ目に木のクサビを打ち込み、水を掛けてクサビを膨張させて割っていたようである。
割れそうにない箇所を無理に割るのではなく、割れそうな箇所に最低限の力を加えて割っていたということである。木のクサビだけでなく、火で熱してから水で急冷する方法も使われていた。



を削る磨く

ダイヤモンドの粉を油で練った研磨材があれば、ダイヤモンドを研磨できるように、どんな岩石も、濡れた砂があればこれを削り、磨くことができる。
「擦る」だけでなく「叩く」のも有効な工法。
叩くにしても、直接叩くのではなく、長い木のアームを使うえばハンマーの原理で、より効率的に磨き、削ることができたはず。


古代中南米の巨石遺構は、巨石が隙間無く積み上げられている。高度な技術で3次元測定し、相手面を加工して組み合わせたのだろうか?


上の写真、よく見ると、石と石の合わせ面は平面に近い。しかも、上段の石の下部を見ると明らかに石材をグリップするための凹みが刻まれている。割ったり運ぶためにしては造作がしっかりし過ぎている。これはあくまで想像だが、積む前に合わせ面を大方平面に加工した後、何らかの装置でここを把持し、吊った状態で石と石の間に研磨材の砂を入れながら、擦り合わせて、カミソリの刃も入らない状態に仕上げたのではないだろうか。
しかし残念ながら、この技術、今に伝わっていない。


岩石】 岩石は頑丈な物質の代表に例えられることもあるが必ずしもそうではない。
河川敷などで一般的に見られる灰色の安山岩は、火山岩であるが、比較的深度が浅い場所で短時間に固まった岩石のため、成分である角閃石、輝石などの結晶は緻密で、焼入れされたような硬さを持っている。一方、建材で重宝される白っぽい花崗岩(みかげ石)は地球のもっと深い部分でゆっくり生成されるため、石英、長石などの結晶が大きく成長していて、あまり硬くなく加工しやすい。
地表では、温度変化による膨張収縮が繰り返されたり、小さな割れ目から染込んだ水が氷る時の膨張で岩石は次第に破砕してしまう。花崗岩は特に侵食作用を強く受ける。砂はこうした岩石の成れの果ての姿。
山火事などで熱せられた岩肌に雨水が当たると崩壊は一気に進行してしまう。焼け落ちた城の放水された石垣も見事に崩れている。
岩石の密度は2.6〜2.9g/cm3。水中では浮力のため3割以上軽くなる。樽などで浮力を増した筏の下に石を吊るし、水路で運ばれることが多かった。



勾玉を穿ける

勾玉は翡翠や水晶などで作られた古代の装飾品であるが、基本的な加工技法は前記に同じく、濡れた砂と木や竹の棒。ひたすら錐のように揉んで穴を穿つ。外形も同じく板や石の上で砂を使って磨いた。

なお、ガラスも古代からあり、こっちの方は火の中で柔らかくして、細い棒で穴をあけることができた。



巨大を立てる

古代の出雲大社は全高48mあったと推定されている。ここに使われていた柱の直径は1.35m、これが3本1組で使われていたことが判っている。古代、どのようにこの巨大な柱を立てたか推測してみる。

全高48m、最大直径1.35mの檜材の重量は推定 24t
人力で直接持ち上げるには600人、立てるとなると数千人必要かもしれない。しかしこれほどの人数が渾身の力を長時間に渡って出し続けることは絶対できない。

ところで、この大木の重さは、直径60mmの麻綱2本、ないし3本で吊ることができる。細い麻の繊維をより合わせた綱を更により合わせた強靭な綱は古代から作られていた。

考えられるのは、木製のクレーンと石のカウンターバランス。
下の図はカウンターバランスを使った工事の想像図。



カウンターバランスは1個あたり80〜100kgの石なら、総計260〜270個。無論、小さな石を多数使っても構わない。築いた足場から麻網袋に入れていく。
そして、柱のほぼ中程を麻綱で結わえ、クレーンの支柱に架けた丸太から吊る。
こうして、カウンターバランスをとった巨大柱は数十人いればテコで底部を移動させ、徐々に巨大柱を立てていくことができる。
木製クレーンの高さのほぼ倍の高さの柱を吊って立てることができる。

この方式の有利な点は、工事を中断して休むことができる点にある。翌日まで中断しても構わない。
ではクレーンの柱はどのように立てたか? 無論、一回り小さいクレーンを使って立てる。

コロは水平方向への移動、木製クレーンは垂直方向への移動、テコは何れの場面にも有用な補助ツールとして、巨石文化においても、これらの古代重機は重要な働きをしたのではないだろうか。

少なくとも人間の考える能力は今も10万年前も、さほど変化してはいない。使える材料とツールが限られていた分、古代の技術者たちは、その使い方に長けていたとしても不思議ではない。

そして一人が革新的な方法を発見すると、それは数年から数十年あれば世界の隅々まで伝わっていったに違いない。特に戦いに勝てる方法、権力を誇示できる方法などは、、



重量物を運ぶ持ち上げる

中世以降は木製のそりである修羅が使われていたことは有名だが、似たような方法は古代でも使われていたであろう。


修羅といっても単に重量物の置き台であるから、これだけでは重量物は動かない。
重要なのは、修羅の下に置く多数の丸太のコロと、その下の平坦な地面。そして、修羅を動かすテコである。
地面が硬くて平坦なら良いが、そうでない場合は硬い板や丸太を縦に順次縦に敷いてゆく。そして、後に下がらないように入れる木のクサビ。

運び上げるにしても、段差があるとよくない。ピラミッドは、あの高さまで石を持ち上げて積み上げたのではなく、石を運んできたら、次は土を盛り上げて、地面を次第に高くしていった。そして最後にピラミッドを掘り出したということになる。


イースター島のモアイ像は脚にあたる台座部がやや凸面状になって、頭部に巻いたロープを、左右と、前または後ろからこのロープを引くことで像を揺振させながら、左右に向きを振ることで、像を歩かせていたと考えられている。(我々も床に腰を落としたまま前に移動する時は、上体を左右に振って左右の坐骨を使い、似たような動作をしている)
頭部の帽子様の塊は像を不安定化させて、より歩き易くするため錘だったのではないだろうか。設置後、錘は落とされ、下半身が土に埋められ、顔だけが出ているモアイ像も多い。

これは、もともと像を歩かせるのが目的ではなく、立てた石材を揺振させながら向きを振ると石材を動かせるという運搬技術の中で、たまたま石像を運ぶ際に、これが歩くように見えたことから、いつしか独立した儀式にまで発展したのではないだろうか。もしかしたら競技が行われていたかもしれない。イースター島には凹んだもモアイの道もあるという。



この揺振は一種の共振現象を利用している。共振は物体に大きな運動エネルギーを蓄積させることができ、このエネルギーの向かう方向を制御できれば、直接仕事をするより遥かに効率的な仕事ができる。



しいドームの形を決める

教会のドーム形状を決めるに際し、さる天才建築家が採った方法は、
穴を穿けた多数のレンガにヒモを通し、それを両端からぶら下げて、各レンガの位置を測定した。
そして、その形状を逆さにして設計図を作った。

ぶら下げられた曲線は、与えられた要素間距離で、全要素の重心を最も低くする「懸垂曲線」であった。これを逆さにするということは、与えられた間口距離とレンガ数の条件で、最も高く競りあがった形、いわば最も神に近づく形ということである。





を使う

研磨材としてだけでなく、砂は広い用途がある。

パイプを無理やり曲げると中央内側付近でパイプが凹んでしまう。
パイプの中に砂を詰めて曲げることでこれを防ぐことができる。

砂は衝撃エネルギーを効率よく吸収する。ブレーキが効かなくなった車両の緩衝停止には今でも砂が使われている。

乾燥した細かい砂はサラサラと流れるように崩れるが、濡れた砂は突き固めることで固まる。
砂に粘土を混ぜることで更に強く固めることができる。木型など型の中で砂を突き固め、割って型を取り出した空洞に溶融した金属を流し込んで作るのが鋳物

ちなみに、奈良の大仏も鋳物ではあるがサイズが特大だけに砂型ではなく、本体を木と縄で作り、粘土で仕上げた後、雲母などの剥離材を塗って更に粘土を貼り、部分毎に内型から外型を分離してできた隙間に銅を流し込んだという。



位置を知る

北極星は北の夜空にあり、動かない星として古来から知られていた。共に良く目立つ北斗七星とカシオペア星座から下のような方法で簡単に見つけることができることでも有名である。



北極星さえ見つかれば、自分のいる緯度は、北極星が見える仰角を六分儀で測ることで正確に知ることができる。



六分儀

出航した緯度までたどりついたら、その緯度をたどればいつかは戻れるということになる。

さらに、方位磁石の発達によって北極星が見えない時間においても自らの進行方向を知ることはできるようになったが、どれ程進んだかを知るためには、板の浮きを海中に投げ入れ、砂時計で測量糸の伸びる速度を元に船の位置を推測するしか方法がなかった。

クロノメーター

問題は、経度だが、地球は1時間に 24時間/360°=15°回転するため、正確な時計があれば、例えば太陽が南中する時刻を測定することで船の経度がわかることになる。しかし、揺れる船中では振子時計は使えず、正確な時計(クロノメーター)ができるまで、昔の航海者は知るすべもなかった。最初のクロノメーターは1735年イギリスのジョン.ハリソンがゼンマイの巻き加減や、揺れ、温度差にほとんど影響されず、年差30秒という高精度を実現したことにより、航行中の位置が正確にわかるようになった。



定規のメモリ



何気ない物でも、どうやって加工しているのか不思議な物がある。
上は竹製の定規のメモリの拡大写真。
竹の表面に鋭利な刃で刻みを入れて、溝に墨を入れていることが分かる。
元々は、専用治工具を使って職人が一本一本メモリを切っていたが、明治時代になると、素材の竹を一定間隔で送りながら刻み目を入れる専用加工機が作られ、量産できるようになった。
現在、スチール製は写真技術を使って腐食したり、レーザーでメモリを入れている。ただし、廉価なプラスチック定規は印刷なのでメモリが剥げたり、寸法の正確性も残念ながら竹製に及ばない。




地球の直径を測る

地球の大きさもまた北極星を利用して測ることができる。

ある地点での北極星の仰角が 40°であった。
そこから真北へ300km移動して北極星を測量したら42.7°であった。その差 2.7°
地球一周の角度 360°は 2.7°の 360÷2.7=133.33倍
従って、地球一周の距離は、300km×133.33=39999km ということになる。
よって、地球の直径は 39999÷3.14=12739km

このように地球の大きさは実測に基づいて測量されたのだが、実は測られた当時の長さの単位はメートル(m)ではなかった。地球一周の4分の1(赤道から北極までの距離)の1万分の1の距離を長さの基準にしようと決めたのが現在の1m。

1mという長さは人間の平均身長でも、両腕を開いた寸法でも、指の寸法や歩幅とも関係ない中途半端な寸法となっているのはこんな理由からきている。

正確にいうと、回転運動している地球は遠心力で少し扁平な形になっていて、直径は12739kmではなく、12742kmとのこと。

【歴史上】 最初に地球の大きが測れること着想したのはギリシャのエラトステネス(紀元前257-194)とされている。エジプトのシエネでは夏至の正午に立てた棒に影ができないという話と、そこから徒歩で測った距離約900kmのアレクサンドリアでは、夏至の日に立てた棒に7°の影ができることから、地球一周の距離を45000km と算出した。


地球の重さを計る

では、地球の重さはどう測ったか。以下は古代の技術では無いが参考のため、
これを成し遂げたのはイギリスのキャベンディッシュ(1797)。

ニュートンの功績により
 F=mg       質量mに加速度gを与える力Fの大きさ
 F=GMm/R2   距離Rの質量Mとmに働く万有引力のFの大きさ
  F:力(N)
  m:物体1の質量(kg)
  M:物体2の質量(kg)
  g:重力加速度(m/s2)
  R:物体間の距離
  G:定数(m3/(s2.kg))
という関係がわかっていた。

二つの式を一緒にして、かつmで割ると
 g=GM/R2
が得られる。
物体が落下するときの加速度(重力加速度)gは実測により 9.8m/s2
地球半径Rは6.37×106m
ということで、地球の質量Mは
 M=gR2/G = 9.8×(6.37×1062/G=3.97×1014/G  [kg]
つまり、地球の質量を知るには定数Gを測ればよいことが分かる。

キャベンディッシュは二つの鉛球を天秤のようにワイヤーで吊り下げ、この各鉛球に別の二つの大きな鉛球を近づけることで、鉛球間に発生する小さな引力(万有引力)の大きさを、ワイヤーのねじれる角度によって測定した。なお、この装置はねじり天秤と呼ばれ、ワイヤーに発生するねじりトルクの大きさは、ねじり振動の周期(T=2π√(mr2/k) )を使って計算された。

こうして測定された定数G
 G=6.74×10-11 m3/S2kg
により、地球の質量Mは
 M = 3.97×1014/6.74×10-11 = 5.89×1024 kg
が算出された。 (現在わかっている値は 5.97×1024 kg )
彼は地球の質量を見出すのが目的であったが、副産物である定数Gは、万有引力定数としてその重要性が後に再認識されることとなった。



黒電話

これも古代技術では無いが、今では絶滅に近い黒電話を見ておこう。

たった2本の電線で、呼び鈴を鳴らし、ダイヤル接続して、双方向会話ができる。ICも真空管も使われていない。 この黒電話、停電になってもアラジン・ストーブ同様問題なく使える。 しかも、パルス回線であれば今も現役で使えるから凄い (ただし、ピッポッパッと音がするトーン回線は不可)


 600型


              600型の内部

     回路ユニット              フック部
       電鈴               ダイヤルユニット






受話器(下図)は、軟鉄の磁極に吸い寄せた振動板を、コイルに音声電流を流すことで振動させる。




送話器(上図)はカーボン(炭)の粒を固定電極板と振動板の間に詰めてある。
声の振動で抵抗値が変化して音声信号が得られる。



下は600型の回路図





保護と音質改善などの回路を省略し、全体の電話回線を見ると次のようになる。




L1、L2: 引き込み線
B: 電鈴
T: 送話器
R: 受話器
HS1、HS2: フックスイッチ
Di : ダイヤル接点
Ds : ダイヤルスイッチ 
L: コイル

L1とL2には極性がない(4極モジュラーの場合は中央の2極が相当)



受話器をフックに置いて、待ち受けにすると下図のうような回路が有効になる。電話局から直流の48Vが加えられているがコンデンサC1が入っているため消費電流は流れていない。
ここに電話局から48V 16Hzの断続信号が来ると、コンデンサを通して電流が流れ、電鈴の電磁石が鉄片を吸着してベルを叩く。電鈴は写真を見ての通り電磁石の鉄芯の動きが板バネを介して2個のベル叩く。





受話器を上げると、回路は下図のようになる。
「もしもし」と送話器に向かって話した時、
例えば、送話器の振動板に音の圧力が加わった時は、

@ 送話器Tの抵抗値が下がり

A 電流が増加すると

B コイルLの電磁誘導作用により逆起電力が発生する

この時、回線の抵抗により、ラインL1の電圧は下がろうとするが、コイルLに電磁誘導による逆起電力が赤矢印方向へに発生し、受話器Rの電圧が下がるのを防止する。つまり、自分の話し声が自分の受話器から聞こえてくるのを防止している。この働きは防側音と呼ばれている。

なおコンデンサCは、受話器Rに交流の音声信号だけが流れるようにしている。






下図はフックを取って、ダイヤルを回し始めた時の回路。
受話器も送話器も回路に入っているが、特に支障は無い。

ダイヤルを回し始めると、接点Dsが閉じ、ダイヤルが元の位置に戻ると開く。

例えば、5までダイヤルを回してから、ダイヤルを離すと、ダイヤルが戻る時に、ゼンマイ式オルゴールの定速回転機構のようなメカが働いて、接点Di が5回、間歇的に開く。 0なら10回開く。

電話局の交換機は、この5回のパルス信号を受けて、最初の番号が5であることを認識する。







ところで、現在の交換機は電子交換機だが、写真下はステップバイステップ方式の交換機。
最初の番号で電磁石で接点を上下にシフトさせ、次の番号で軸を回転させて接点を選択していた。
こうした交換ユニットへ次々に回路が接続されて目的の回線に接続された。





ハクキンカイロ
大正末期、創業者的場仁市がイギリスの白金触媒式のライターを参考に開発したと言われるこのハクキンカイロもまた間違いなく伝統技術に入るだろう。鉄粉と活性炭を主体とした使い捨てカイロに主役の座を奪われたとは言え、この古くて新しいデザインと共に完成された技術の火は消えない可能性がある。



しかし、このハクキンカイロの蓋を開けて、闇の中で見てしまった恐ろしさは余り語られていない。下の写真は完全な闇の中ではなく暗くして撮影したので迫力は欠けるが、夜中、布団に包まって見ると閻魔の業火のように怖いこと請け合いである。



白金の触媒の作用と聴く限り、普通は炎の無い燃焼を想像してしまうが実際はカクノ如く人間の肌の間近で炎が燃焼しているのである。燃料ベンジン(カイロ用ベンジンに限る)を容器内の綿に浸み込ませて、上から口金を押し込んであるだけのシンプルな構造である。口金の火口はガラス繊維に白金が織り込まれているという。燃料を専用カップ2杯入れ、口火付近をライターの炎で2〜3秒炙ると約24時間、金属ケースには触れていられな程の高温で安定した温度を保ってくれる。使い捨てカイロが時を待たずダラダラと温度を下げてしまうのと大違いである。
ベンジンはホワイトガソリンの仲間。その危険な液体をかくもシンプルな機構で安定燃焼(いや、燃焼ではなく触媒作用)させるとは何と大胆な技術なのだろう。カイロが逆さになろうと、振られようと、火力が暴走したり消えたりしない理由が、マイケル・ファラデーならずとも気になってしまう。
ところで、元祖イギリスではライターとして使われていたということは、やっぱり火だったのかー?! なお、本頁の内容を無暗に信じて当該カイロの蓋を開けて見ることの無いよう重ねて忠告申し上げます。できればライターの炎を火口に近づけたりせず、体温でカイロを温めてご使用頂けたらより安全かとご案内申し上げます。














カウンター

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